エコってなんだろう
環境にいいことって、どんなこと
省エネとエコは、どこがどう違うか
地球温暖化を防止すれば、エコになるのか
生態系の保護と、環境の保全は同じことか
公害問題、水銀、PCB汚染、光化学オキシダントetcの環境問題はどうなったのか
リサイクル、資源化の問題点は、その本質とは何か
環境問題について考えようとするとき、困る問題のひとつは、“環境”又は“エコロジー”と言って頭に浮かんでくることが人により様々に異なる、ということではないだろうか。人と環境の話をしていて、はじめ話がかみ合わないことがある。
地球環境の問題から、エアコンの設定温度の問題まで。とにかく膨大な範囲の問題が複雑に絡み合っていることは確かである。そのためもあって環境問題を論じるとして、部分的に問題を取り上げ、机上の空論に近い事を言っても、ある程度説得力のある話ができてしまうことにもなる。
私のような年寄りにとっては、歴史的経緯というものにこだわったりするので、鉱毒問題→公害問題→環境問題→資源化の問題 などなどと言ってみたくなったりするが、若い人で例えば学校で環境について学んだ人は、全く違う概念を持っている事だってありうる。エコロジーについては、多種多様なアプローチが可能だが、そのうちの代表的な考え方を箇条書きに挙げてみよう。
- 宇宙船地球号的な、考え方。:地球全体をひとつの“環境”としその未来を考察する。
- 地球温暖化、オゾン層の破壊、生態系の保全etc:世界規模の環境保全。
- 化石燃料の使用によるエネルギー資源の枯渇。:燃焼排ガスによる大気汚染
- 水質汚濁、大気汚染などによる生活環境の破壊。:生物、人間への健康被害
- 文明の発達によって引き起こされる、動植物の生存環境の変化と絶滅危惧種の問題。
- 自動車、飛行機、高速鉄道等、交通手段の発達による環境破壊。
- 電化製品、コンピューター関連製品、生産機械等の発達による生活環境の変化。騒音振動の問題
- 産業廃棄物を中心とする、廃棄物の問題と資源化、リサイクルの問題。
- 私たち人間は、エコのためにはどのような生き方を目指すべきか。
- 私たちは毎日の生活において、エコのためにどのようなことを心がけるべきか。
もっと多様なアプローチが考えられると思うが、上記のリストアップの仕方自体が、筆者の主観と経歴を如実に表していると思う。そして環境について、エコロジーについて、総括的に扱うことなど、手に余ることであると実感せざるを得ない。以下は環境又はエコロジーについて重要と思うことについて各論的に述べる。
A.環境汚染について
水質汚濁問題は、大気汚染と並んで環境問題の原点といえる。レイチェル・カーソンの “沈黙の春”が出版されたのは、1962年(昭和37年)だから、現在の環境基本法の基になった、公害対策基本法ができる5年前である。“沈黙の春”で論じられている「農薬をはじめとする合成化学物質が、如何に生態系を変えてしまうか・・」は、衝撃的な問題提起であり、我々の未来への警鐘であった。
人間の経済活動が、人間をはじめとする動植物の生命活動を阻害する有害物質を作り出すことは、産業革命以来知られてきたこととはいえ、始めは鉱山や精錬所で働く労働者の職業病として認識されたことであり、それが“公害”として、我々の健康に関する大問題であると知られるようになったのは、半世紀ほど前からといえると思う。もっともいつ頃から公害問題が始まったかということについては、厳密には異論があるとは思う。
農薬、殺虫剤、除草剤などの農業にとって必要不可欠な薬剤。工業生産にともなって副産物として、排水に混ざって、又は産業廃棄物として排出される重金属類や有機溶剤など。物の燃焼によって発生する排ガスに中に含まれる、硫黄酸化物、窒素酸化物、光化学オキシダント、ダイオキシン等大気中に排出される多くの大気汚染物質。いずれも現代では明らかに環境汚染物質であり、これらの物質が自然環境中でどのような影響を及ぼすかについては、いろいろなことが分かってきつつある。しかし、それ以外にも例えば、農業用肥料、魚の養殖や畜産につかう飼料、生産工場で普通に使われる工業薬品(苛性ソーダ、石灰、硫酸、塩酸、次亜塩素ソーダなど)我々が普通に使っている有機合成薬品(アルコール、シンナーなどを含む塗料、接着剤、消毒剤など)これらのものが自然界に大量に放出され、生活環境に、どれほどの影響を及ぼしているかを正確に指摘できる人は、ほとんどいないのではないだろうか。しかしそれらは確実に我々の生活環境を変化させている。
人の健康に有害な物質は、自然界に存在する重金属類等と、人間が作り出した合成化学物質とに分けることができる。石油化学工業の製品として合成製造されたり、鉱石を集めて精錬したりして、産業に利用することで我々の生活に役に立つ物質が作られるが、反面、それらが使用されたあと廃棄物として、又は無害なものに混入して、環境中に排出され、環境を汚染し健康被害を引き起こす。
このような環境汚染物質を、自然環境中から取り除くことは重要な技術だが、このようにして環境中の有害物質を可能な限りゼロに近づけることができたとしても、それだけでは良い環境を実現することができないような気がする。このことは変化してしまった環境を元に戻すことは可能かどうかということでもある。
B. 有害物質の除去
人の経済活動によって自然界に放出された有害物質や、工場の排水口や煙突から排出された有害物質などから、有害物質を取り除く作業は環境を良くするために決定的に重要なことで、これをおろそかにすれば我々の生活環境は、悪くなるばかりでついには人が住めなくなり、砂漠化するしかなくなるかもしれない。
このような除去の対象となる有害物質は、水銀、カドミウム、PCB、ダイオキシン、亜硫酸ガス、揮発性有機化合物、有害な塩素化合物等々、数え上げればきりがないがそれぞれに適当な除去技術があり、経済効率と経済効果を考えれば限界はあるが、人の生存に支障が無い程度に除去することは可能であろう。
工場などの汚染源での除外処理施設を設置することは比較的容易だが、自然界に拡散した汚染物を集めて除去することは難しい。低濃度のものを直接処理することはコストの面で難しく、濃度が低くなったものを集めることも難しいからである。但しそのことは不可能といっているわけではない。
自然環境中の有害物質の量を限りなくゼロに近づけることは、技術的には可能な場合が多いと思われるが、あまり微量にこだわることは経済的には不可能なこともある。つまりエコでなくなる可能性もある。ここでも有害物質を全くなくするようにすることより、ある限度以下の濃度に下げることが極めて有効である。
C.エコロジーとエコノミー
エコロジーとエコノミーには、深い関係がある。世の中のすべてのことは経済活動であるが、エコ(エコロジー)には、費用対コストが決定的に重要である。お金がかかりすぎるエコ活動は、費用に対して効果が少ないためにエコではない。例えば、エコの為であるとして、その人にとって高価すぎる電気自動車を購入し、日常生活に使用することは、決してエコとは言えない。但し、例えばベンツに乗っていた人が、電気自動車に乗り換えたらそれは充分にエコに配慮した行動といえるだろう。
燃費の良い自動車に乗り換えることよりエコロジーに配慮した行動は、今自分が乗っている車を出来るだけ長く使うことです。新しい自動車を購入することは、エネルギーをたくさん使うことで、エコでないことです。便利で快適なことはエコでないことが多いといえそうです。
例えばもっともエコな生活は、原始人の生活に近いものではないかと思う。お金を使わない生活と言い換えてもいい。“環境を汚すこと”と“エネルギーを使うこと”と“お金を使うこと”は、三つともほぼ同じことではないだろうか。
“お金を使うこと”がエコでないかどうかは考えてみるべきことでもあると思う。例えば、明らかにエコに有効と思われる事を実行するのに、非常識に多額の資金が必要だとしたら?もちろんケースバイケースだが、熟慮が要求される。
民主主義と資本主義を車の両輪とする、現代の文明社会において、経済が不可逆的に拡大していくことが我々人間の、豊かさの追求の結果もたらされるものだとすれば、環境の破壊もその結果であろう。我々人間にできることは、環境の破壊のスピードを遅くすることだけかもしれない。
エネルギーを最も使わない、自給自足の生活こそが、究極の“エコ”といえると思うが、それが“人間が目指すべき理想”かどうかということは、大いに議論の余地があるのではないだろうか。快適で、精神的にも豊かで、しかも、簡素で省エネな生活なんて、矛盾だらけではありませんか。
そのような矛盾を何とか調和させて、バランスが取れた満足できる生活ができたとして、それが未来に、持続可能な発展的な展望をもたらすことができるのか、ということは又別の大問題なのかも知れない。